江刺

原躰剣舞保存会奥州市指定無形民俗文化財第28号

はらたいけんばいほぞんかい

奥州市江刺区田原原体地区

代表者

菊地 勝美

会員数

約35名

慶応元年に増沢剣舞から伝えられた稚児剣舞、
亡魂鎮送の舞として初盆に披露。

原躰剣舞保存会

沿革

慶応元年(1865)に岩谷堂の増沢剣舞から伝えられた稚児剣舞。 原体地区の小学生が伝承し、戦中及び終戦後の一時期中断したもの昭和34年に本格的に再開されている。その直後旧石原小学校で高学年を対象として伝承活動が取り入れられ、統合された田原小学校へと受け継がれて現在に至っている。
近年は田原保育所でも伝承活動を行っており、伝承活動の継続は、芸能の保存、伝承にとどまらず、子供達の情操教育、世代を越えた交流、子供たちの同士の交流の機会の創造にもなるなど青少年の健全育成にも寄与している。 大正6年(1917)に江刺を訪れた宮沢賢治の長編詩により全国的に知られており、県内外はもとより海外でも公演している。昭和43年に原体地区民全員による後援会が発足しており、昭和48年に市無形民俗文化財(旧江刺市)に指定されている。

活動状況

車社会の発達や、小学生はスポーツ少年団活動、中学生・高校生はクラブ活動に追われるなど生活形態の変化により、ややもすると地区内で互いの顔を見る機会を失いかけている現在において、原体剣舞の伝承は地域における子供達の存在を確たるものにしています。かつては、地域内に120人余りいた小学生も現在は13人余となり、胴取もそれぞれが勤めを持つ中で時間調整をしながら剣舞の練習や伝承を行うという厳しい状況です。しかし、原体自治会によるバックアップを受けて、地域の中で大人が子供達を、子供達が大人を意識しあい、互いに認め合えることで活動が継続されています。
今後もこの関係を大切にしながら、地域の子供達を守っていきたいと考えています。 宮沢賢治の詩の題材として取り上げられたことが伝承活動の継続を後押ししてくれていることもありますが、なによりも、地区民として生まれ育った地域の誇りとして受け継いできたこの活動が、集落の形態を維持することや子供達の目を家庭や学校とは違う地域社会へと向け、ひいては健全育成の一助にもなるものと考えています。

原躰剣舞保存会

種山、星座の森にて

原躰剣舞保存会

種山、星座の森にて

原躰剣舞保存会

剣舞面

金津流石関獅子躍奥州市指定無形民俗文化財第70号

かなつりゅういしぜきししおどり

奥州市江刺区稲瀬地区

代表者

小原 剛一郎

会員数

約20名

金津流獅子躍本流の心と技を受け継ぎ
岩手県金津流獅子躍流祖として活動中。

金津流石関獅子躍

沿革

金津流獅子躍は享保年間より確立し伊達藩士犬飼家に代々伝わる踊りで、犬飼清蔵長明より嘉左衛門と源十郎に伝授され、安永8年(1779)7月に旧宮城郡国分松森村の源十郎より旧江刺郡石関村肝煎の小原吉郎治に伝授されたのが始まりである。安永より昭和初期12代まで約160年間恒常的に踊られていたが、13代目の時から約半世紀も沈黙が続く。石関の師匠が老齢だった為、石関の孫弟子でもあり金津流獅子躍本流を受け継いだ金津流野手崎獅子躍より師匠を招き平成14年11月に復活し、平成23年9月には古式に則り、相伝四門之儀を執り行い完全復活となる。安永8年(1779)の伝授書と寛政7年(1795)の供養碑の現存からしても、歴史上岩手県内にある金津流獅子躍の本家にあたる。

活動状況

平成14年に復活して以来、毎年地元熊野神社例祭での奉納・地元石洞寺での盆供養・地元の芸能祭等地域の交流を深め、地元公演をメインに活動しております。我々の踊りが評価され、全国青年大会・愛知万博・全国獅子舞フェスティバル・参議院議長主催レセプション等に呼ばれたり、県内外の様々なイベントにも積極的に参加しております。復活以来週2回の練習を欠かさず、年間20回程度の公演をしております。踊りを通して自分磨きや仲間つくりをモットーにしておりますが、金津流獅子躍の心と技をしっかり伝承していく為に日々精進しております。この素晴らしい芸能を多くの人に知ってもらいたく、鹿踊団体としてはどこよりも早く平成15年にHPを立ち上げ、鹿踊の情報発信と他団体との交流にも力を入れております。

金津流石関獅子躍ホームページhttp://www.ishizeki-shishi.net/

金津流石関獅子躍

金津流獅子躍の相伝式 平成23年

金津流石関獅子躍

全国獅子舞フェス 平成21年

金津流石関獅子躍

盆供養・寺門前にて

小田代神楽保存会

こだしろかぐらほぞんかい

奥州市江刺区田原地区

代表者

及川 章

会員数

15名

式舞を軸に
子ども神楽と両輪の活動をしています。

小田代神楽保存会

沿革

口伝によると、創始は明治二十八年、初代座元外有志が私財を投じて胆沢より師を招き、更に道具を揃え始めたと聞く。以後人材に恵まれ盛んに活動し、他村の神楽創始に関わる程であったが、戦後は社会環境の変化にともない、座員の減少と当然のごとく舞われる演目も少なくなりました。暫くは御神楽一つで祭り神事を努める外ない年が続いたが、現六代目座元が地元有志の理解と協力を得、同系神楽の協力により、平成十五年、十六年と式舞十二番の補完を計り、その後三番を加えて現在式舞を軸に活動を続けています。

活動状況

私ども神楽は、地元五十瀬神に御みこし奉納と合わせて始められ、以来百二十年余り、神事とともにあり、衰えたりとも神事を欠かした事はないと伝わる。私達はこの先人の思いを尊び、祀りを絶やさずに次代につなげる事を第一にと思っております。
活動は地元五十瀬神社例祭はもちろんの事、各地の発表会に参加し技量の向上を図り、更にかつて後継者難に泣いた教訓から、子供神楽事業に取り組み、地元はもとより近隣から子供達を受け入れ、基本舞の御神楽はもちろんの事、神楽を楽しめるようにと岩戸開き、オロチ退治等の演目を教え、更に笛、太鼓、鉦の囃し方、舞方それぞれを子供達が責任をもって演じています。 これにより子供達の関心も高まり、修了後も続けるメンバーが出てきています。
トップの写真は荒舞の代表格、山ノ神。家内安全、豊作、安産祈願の祈祷舞の写真です。

小田代神楽保存会

国土安泰を願う、荒調子舞。

小田代神楽保存会

小田代子ども神楽の囃方担当の子供達。神楽だけでなく百姓踊りも演じます。

奥州市民芸術文化祭・開幕まつり参加

大谷さんさ踊り保存会

おおたにさんさおどりほぞんかい

奥州市江刺区稲瀬地区

代表者

岩渕 陸郎

会員数

27名

幾度かの中断による存続の危機をのりこえ
貴重な郷土芸能をいまに伝えています。

大谷さんさ踊り保存会

沿革

大正初期、広野馬治氏が世話人となり、北上市下門岡の女先生に教わり普及したのが始まりとされている。中でも大正初期、昭和十年頃、昭和二十年頃の三期が最も盛んであった。一度中断するも終戦後、小沢繁正氏らが音頭をとり復活し、地元はもとより、岩谷堂、水沢、北上、相去などの火防祭に参加し、昭和三十年ころまで踊られるが、その後は途絶えてしまう。 この貴重な郷土芸能を後世に引き継ぐため、昭和60年12月、岩渕貞光氏ら有志が発起人となり大谷自治会全員(当時大谷農家組合)が構成する「大谷さんさ踊り保存会」を設立、平成27年には創立30周年を迎える。この間、岩手県文化振興事業団の補助金を活用し、太鼓、幟旗、提灯等を整備。踊り手の衣装は、婦人部総掛かりの手づくりで小、大人用計46着を揃えるなど集落挙げての保存伝承に努めてきた。 大谷さんさ踊りの由来は定かでないが、お囃子や踊り、唄など現在の「盛岡さんさ」と趣きは違うが、踊られる場所や時期等から推察するに、先祖供養をはじめ、家内繁盛、五穀豊穣、地域の融和を願い踊り継がれてきたものと思われる。

活動状況

現在は、少子高齢化の煽りで踊り手が減少する中、太鼓、笛には若い後継者が育っており、約20年間続いている稲瀬保育所園児への園舞指導とともに稲瀬文化芸能まつり、「おらほの祀り」や江刺民族芸能フェスティバルなどに参加しながら集落一丸となった保存伝承に取組んでいる。

大谷さんさ踊り保存会

稲瀬芸能文化祭の会場にて

大谷さんさ踊り保存会

わかば園の園児25名とともに総勢50名で大谷さんさ踊りを披露 

大谷さんさ踊り保存会

日頃の練習の成果を発揮しました