胆沢

朴ノ木沢念仏剣舞保存会国指定・重要無形民俗文化財第303号

ほおのきざわねんぶつけんばいほぞんかい

奥州市胆沢地区

代表者

三田 一男

国指定無形民俗文化財として
北上市・旧衣川村と共に継承されています。

概要

伝承では、平泉高舘の駄一郎が都鳥村(現南都田地区)から伝承。その後、寛政8年(1796)、都鳥村の長八より小山堀切、伊勢堂の平助に伝授されて始まったとされています(文久3年の石碑があり)。平成5年12月、国指定無形民俗文化財として北上市・旧衣川村と共に指定されています。

演目紹介

「本剣舞」をはじめいくつもの演目があります。
「一人怒物(ひとりいかもの)」(熊払い)  この舞は一人で舞うもので、亡霊の荒れ狂うさまを舞の中に取り入れたものです。激しさや緩やかさの中に亡魂が気持ちとなって現われ、特に中後半での二本刀を用いながらの舞は、亡魂が激しく荒れ狂うさまが表現され、やがて緩やかに静まっていく舞いです。
「三人怒物(さんにんいかもの)」  この舞は三人で舞うもので、いずれも亡霊共の荒れ狂うさまを舞いの中に取り入れたものです。三人の武者の亡魂が一体となって、各々の刀、扇等を用い、組み合いながら前後左右または後ろ向きになって舞うなど、技術的なところが多く取り入れられている舞いです。

朴ノ木沢念仏剣舞保存会
朴ノ木沢念仏剣舞保存会
朴ノ木沢念仏剣舞保存会
  • TOP
  • 胆沢
  • 朴ノ木沢念仏剣舞保存会

市野々念仏剣舞保存会奥州市指定無形民俗文化財第6号

いちののねんぶつけんばいほぞんかい

奥州市胆沢地区

代表者

高橋 広昭

南無阿弥陀仏の念仏を基調とした
古来そのままで保存された評価の高い踊りです

概要

市野々念仏剣舞は明治10年、衣川より伝授されて以来、今日に至っております。現在の庭元は七代目です。  剣舞は役の行者が起源と言われております。市野々念仏剣舞は南無阿弥陀仏の念仏を基調とする踊りで、踊り形、太鼓の調子も古来そのままで保存されており、各界より高く評価され、昭和37年には文部省主催の第13回全国民俗芸能大会に東北六県を代表して出演しております。 また昭和44年には文化庁に記録保存されております。

特徴

先剣舞・カッカタ(怒物)など数多くの演目があります

市野々念仏剣舞保存会
市野々念仏剣舞保存会

カッカタ

市野々念仏剣舞保存会

狼ヶ志田神楽保存会奥州市指定無形民俗文化財第7号

おえなしだかぐらほぞんかい

奥州市胆沢地区

代表者

高橋 先雄

三輪流神楽が中心ですが
鶏舞にはいまだに山伏神楽の舞の特徴が残っています

概要

文久元年(1861年)小山中沢地区より山伏神楽を伝えられます。その後、明治25年(1892年)西磐井郡萩荘村達古袋、阿部徳太郎氏より三輪(みわ)流神楽を伝授され現在に至ります。舞の特徴は現在は三輪流神楽(南部神楽)が中心ですが、鶏舞にはいまだに山伏神楽の舞の特徴が残っています。 平成4年(1992年)には100年祭を盛大に挙行しました。現在は第10代庭元を中心に19名の会員がいます。その中で10名の子どもたちを後継者として育成しています。

演目

南部神楽(せりふ神楽)には、独特のせりふ・ストーリーがあります。
「宝剣納め」  アマテラスオオミカミの弟のスサノオミコトが出雲の国に左遷されました。その際、斐の川の上流に棲んでいた八岐の大蛇(やまたのおろち)を退治したときに大蛇の尾から出てきたのが天叢雲剣(あまのむらくものつるぎ)、別名は草薙剣(くさなぎのつるぎ)です。この剣を尾張の国の熱田神宮に奉納する舞が「宝剣納め」です。

狼ヶ志田神楽保存会
狼ヶ志田神楽保存会

写真提供/ブログ「祭りの追っかけ」

狼ヶ志田神楽保存会

写真提供/ブログ「祭りの追っかけ」

行山流都鳥鹿踊保存会奥州市指定無形民俗文化財第9号

ぎょうざんりゅうとどりししおどりほぞんかい

奥州市胆沢地区

代表者

高橋 勇人

若手が中心の充実した体制
活発な県内外での公演活動を行っています

概要

「行山流都鳥鹿踊」は、南都田の都鳥地区で活動をしている団体です。会員は16名です。私達の保存会には、女性や胆沢区外出身の踊り手も入会しており、後継者の育成を幅広く行っています。「練習会」を毎週日曜日に行い、地域の行事などで披露させて頂いております。姉妹都市である静岡県掛川市で開催された「全国獅子舞フェスティバル」や、宮城県で踊りを披露するなど、県外でも出演しております。

特徴

「礼舞」は、最も基本となる踊りです。高さ3メートルにもなるササラの動きや、太鼓のバチさばき、足さばきなどが見所です。

行山流都鳥鹿踊保存会http://www11.ocn.ne.jp/~taktos54/

行山流都鳥鹿踊保存会
行山流都鳥鹿踊保存会

台東区上野

行山流都鳥鹿踊保存会

長野県飯田市

化粧坂念仏剣舞保存会 奥州市指定無形民俗文化財第10号

けしょうざかねんぶつけんばいほぞんかい

奥州市胆沢地区

代表者

石川 勝則

五穀成就、国家泰平、極楽往生を願い
念仏を唱えながら踊ります

化粧坂念仏剣舞保存会

概要

昔、平泉・達谷窟の悪路王(あくろおう)は暴虐で村人は大いに苦しんでいました。この悪路王を坂上田村麻呂が、念仏で打ち倒しました。 人々は喜び、五穀成就、国家泰平、極楽往生を願い、念仏を唱えながら遊ぶ(踊る)ようになりました。これが、化粧坂念仏剣舞の起こりと云われています。また、寛政年中、都鳥村の長八が創始したと云われていますが、詳しいことはよく分かっていません。長八以前には「カッカタ甚兵衛」という上手な舞手がいて、その人が踊って以来定着したとも云われています。

演目

「四番庭」など数多くの演目があります。

化粧坂念仏剣舞保存会
化粧坂念仏剣舞保存会
化粧坂念仏剣舞保存会

笹森神楽保存会 奥州市指定無形民俗文化財第11号

ささもりかぐらほぞんかい

奥州市胆沢地区

代表者

村上 幸吉

天照大神を岩屋の外に誘い出す神話が
御神楽の始まりといわれております

笹森神楽保存会

概要

笹森神楽は、大正9年に胆沢区若柳前谷地神楽の米倉純治氏の弟子の佐々木伊治より伝授されて現在に至っております。

演目紹介

「御神楽」神代の昔、天照大神(あまてらすおおみかみ)は、弟の素戔嗚尊(すさのおのみこと)の高天原(たかまがはら)での乱暴狼藉があまりにもひどいので、天の岩屋に閉じこもってしまいました。それが為にこの世の中は真っ暗闇になりました。そこで八百万(やおよろず)の神々が集まり相談した結果、岩屋の前で踊り騒いで天照大神を外に誘い出そうということになりました。天照大神は、岩屋の外が騒がしいので,何ごとやらんと扉をそっと開くと、その時待ち構えていた天手力男尊(あめのたぢからおのみこと)が扉の隙間に手をかけ、頑丈な岩の扉を放り投げて岩戸が開き再び元の明るい世の中になったという神話に基づいています。この時の踊りが御神楽の始まりといわれております。
「明神舞」  神楽式舞13番の中の6番の舞で、獣の荒れすさぶのを鎮める舞であり、地割舞、明神舞は共に悪魔を祓い鎮め、天下泰平、延命息災、五穀豊穣を祈念する舞です。

笹森神楽保存会

明神舞

笹森神楽保存会

地区敬老会での演舞

笹森神楽保存会

子ども達による御神楽

鹿合神楽保存会 奥州市指定無形民俗文化財第12号

ししあわせかぐらほぞんかい

奥州市胆沢地区

代表者

加藤 源昭

150年余の歴史があるとされる鹿合神楽
もっと昔からあった可能性もあります。

鹿合神楽保存会

概要

安政5年頃、中沢神楽(小山字中沢)・本庄健太郎氏より鹿合加藤政治らが伝授されて始まったものです。その後、一時活動を休止しましたが、明治40年に加藤政治らが中心となって、水沢の北下幅神楽の小野太郎左衛門氏より伝授されて再興し、現在に至ります。なお、秋田県の番楽(神楽の一種)の報告書に、鹿合から伝授されたとの説が紹介されています。鹿合には安政以前にも神楽があったという口伝があり、猿山(猿岩)に奉納されていた神楽は鹿合神楽だった可能性もあります。

演目紹介

「御神楽」神代の昔、天照大神が高天が原の岩屋に閉じこもったとき、八百萬の神々が岩戸の前に集まり神楽を舞われた。これが神楽のはじまりといわれています。御神楽は神楽の基本の舞でこれを習得するとすべての舞に通ずるといわれています。

鹿合神楽保存会
鹿合神楽保存会
鹿合神楽保存会

都鳥田植踊保存会 奥州市指定無形民俗文化財第14号

とどりたうえおどりほぞんかい

奥州市胆沢地区

代表者

藤田 昭

激しい労働作業の鼓舞と豊作縁起を祝うものとして
踊り継がれてきています。

都鳥田植踊保存会

概要

今から380年ほど前の寛永年間(1624~1644年)、初代千田美濃守が田の神を信仰することから始めたとされ、農民の激しい労働作業の鼓舞と豊作縁起を祝うものとして踊り継がれてきています。 昭和35年11月5日胆沢町無形文化財に指定されています。

演目紹介

本田植踊は、田打ち作業から収穫までの一連の稲作の模様が、えんぶりと弥十郎(やじゅうろう)の掛け合いのなか鞨鼓(かっこ)と奴(やっこ)によって演じられます。その中に、朝はか・お倉見廻し(おくらみまわし)・鎌倉(かまくら)・入り違いのなどの演目があります。

都鳥田植踊保存会
都鳥田植踊保存会
都鳥田植踊保存会

南下幅念仏剣舞保存会 奥州市指定無形民俗文化財第15号

みなみしたはばねんぶつけんばいほぞんかい

奥州市胆沢地区

代表者

高橋 孝

時流に流されることなく念仏剣舞の所作を
厳格に伝える第一級の無形民俗文化財

南下幅念仏剣舞保存会

概要

巻物圓鏡傳によると、大同三年、出羽の国 羽黒山峰中権大僧都善光院の法印が荒沢鬼渡大明神の御堂にこもり念佛勤行をしている時、ある夜こつ然と二人の老翁が現れて「衆生済度の近道は舞踊の面白さを知らしめた上に導くことにある」と諭された。それに対し彼の法印は「しからば教えて候らえ」と申し上げたところ、一人は座して歌い囃し、一人は立ちて踊り始めた。伝授し終わると二人の姿は虚空に消えて見えなくなった・・・・とあり、この踊りこそ念仏剣舞の始まりとされています。以来絶やすことなく保存会を結成し伝承しています。胆沢区内では、八団体の剣舞が指定されていますが、他の団体と比し一般的にテンポがゆったりしており、それだけ「力み」があると言われています。

演目紹介

踊りは18演目ありますが、その中の「刀剣舞」と「かぶと立ち」を紹介します。阿修羅踊系である南下幅念仏剣舞は、大地を強く踏み六字名号(南無阿弥陀仏)を唱える念仏信仰が結合した舞が特徴で、太刀舞を中心に縦の動きから輪踊りに、そして二人での狂いでは、横の激しい踊りに変わり踊りとおします。「かぶと立ち」は、「八人怒物のくずし」のことで、最後の方で「もぎりとり」も加えて踊ります。
トップの写真は「膳舞」です。

南下幅念仏剣舞保存会

跳ね胴
写真提供/ブログ「祭りの追っかけ」

南下幅念仏剣舞保存会

久須志神社奉納
写真提供/ブログ「祭りの追っかけ」

南下幅念仏剣舞保存会

久須志神社奉納
写真提供/ブログ「祭りの追っかけ」

新里念仏剣舞保存会奥州市指定無形民俗文化財第16号

にいさとねんぶつけんばいほぞんかい

奥州市胆沢地区

代表者

菅原 久

いかめしい顔つきの面をつけ、
剣を激しく振りながら踊る勇壮な念仏剣舞の原型。

新里念仏剣舞保存会

概要

新里念仏剣舞は、明治九年に化粧坂念仏剣舞の石川勇三郎・村上善太郎の両氏より鴫田(しぎた)の千田新左衛門等が伝授され今日に至っています。いかめしい顔つきの面をつけ、剣を激しく振りながら踊る勇壮な踊りが特徴で、平泉で果てた義経主従の亡霊を踊りで成仏させたといわれています。勇壮な舞いは、伝授された当時の平泉高舘物怪(もっけ)独特のものと思われる「念仏」を唱え踊り始めるという、古くからの形態を崩さずに演じています。装束の胸当ては、源氏であった源義経に通じる「笹竜胆(ささりんどう)」と、仏教関係や中国・蝦夷物(えぞもの)によく見られる「雲」を使用し、袴(たっつき袴)や手甲が腕まで長く伸びたものを着用するなど、念仏剣舞の原型を現代に伝承しています。今もなお地域の行事や祭事で舞を奉納するとともに後継者育成に努めるなど、郷土芸能の伝承に力を注いでいます。
トップの写真は平泉で行われた観自在王跡での福興祭の写真です。

特徴

新里念仏剣舞の伝承演目は、一番庭、二番庭、三番庭、四番庭、一人怒物、三人怒物、八人怒物など多くの演目がありますが、その中でも扇子を高く構え勇壮的に入り込みする二番には、悪霊を鎮圧する呪法と、「南無阿弥陀仏」を唱える念仏信仰が結合した踊りを象徴しています。 舞手に子供を加えて演じることもあります。

新里念仏剣舞保存会
新里念仏剣舞保存会

藤原の郷
写真提供/ブログ「祭りの追っかけ」

新里念仏剣舞保存会

平泉町(観自在王跡)

前谷地神楽保存会 奥州市指定無形民俗文化財第17号

まえやちかぐらほぞんかい

奥州市胆沢地区

代表者

阿部 一江

全盛を風靡した前谷地神楽
子どもたちによって受け継がれ再興しました。

前谷地神楽保存会

概要

全盛を風靡し神楽愛好者を楽しませた前谷地神楽も、先生方(師匠)が他界され活動中止状態にありました。唯一の望みは教育委員会収録・保存されているビデオCDが頼りでした。何とか前谷地神楽の復活をと、阿部一江さん始め舞手数人が記憶を辿りながら「御神楽」を舞うことが出来ました。若柳地区振興会事業の一環で、若柳小学校の児童に伝承し、運動会の集団演技として披露しております。

特徴

「御神楽」は四方を祓い、四方を踏み鎮める舞で神楽舞の基本と言われています。

前谷地神楽保存会
前谷地神楽保存会
前谷地神楽保存会

鹿合念仏剣舞保存会 奥州市指定無形民俗文化財第18号

ししあわせねんぶつけんばいほぞんかい

奥州市胆沢地区

市野々剣舞より伝授の風流念仏踊りで
旧盆中に寺や民家、新盆供養などで踊られてきた

鹿合念仏剣舞保存会

概要

昭和4年(1929)に市野々剣舞より伝授を受けた風流念仏踊りで、旧盆中に寺や民家、新盆供養などで踊られてきた。寺社や地域の諸式典や芸能まつりなどでの公演を行なう。昭和38年以来胆沢愛宕小学校に、昭和50年以来若柳中学校に剣舞の指導も行っています。

特徴

地区の安寧・豊穣、後継者育成・指導・伝承に尽力され、地域の活性化と郷土芸能の発展に寄与しています。

鹿合念仏剣舞保存会
鹿合念仏剣舞保存会
鹿合念仏剣舞保存会

出店田植踊保存会 奥州市指定無形民俗文化財第30号

でだなたうえおどりほぞんかい

奥州市胆沢地区

江戸時代の風習を
今に伝える踊りです。

出店田植踊保存会

概要

出店田植踊は、文政7年(1824年)堀切(現小山地区)横屋の田植踊の師匠、萬吉氏から若柳村(現若柳地区)出店中西屋敷の五郎七に伝授され、現在まで続けられてきたものです。

特徴

「新田植の舞」は、「ほまづ田」といって、昔は大百姓の年寄りたちが自分だけの水田をもっていました。その「ほまづ田」のための田植踊のことです。更に、さかのぼれば江戸時代本田に対して開墾された水田を新田と呼んで区別していました。この新田のための田植踊のことでもあります。

出店田植踊保存会
出店田植踊保存会
出店田植踊保存会

行山流供養塚鹿踊保存会 奥州市指定無形民俗文化財第44号

ぎょうざんりゅうくようづかししおどりほぞんかい

奥州市胆沢地区

代表者

安倍 春雄

儀左衛門が達谷窟に出稼ぎに行った時に
村に帰って伝承したと伝えています

行山流供養塚鹿踊保存会

概要

若柳稲荷の儀左衛門が嘉永6年18歳で平泉の達谷窟に出稼ぎに行った時に伝授され、村に帰って伝承したと伝えています。

演目紹介

「山雀(やまがら)」 「乱れ獅子」又は「三人狂れ」とも呼ばれ余興舞とされます。人も動物も年頃になると異性に恋をし愛するものですが、この場面は一頭の狂った牡鹿が牝鹿に近づこうとするが他の二頭の牡鹿が近づけまいとして三頭が争います。三頭の鹿による恋の争奪戦の情緒を表現したものです。

行山流供養塚鹿踊保存会
行山流供養塚鹿踊保存会
行山流供養塚鹿踊保存会
  • TOP
  • 胆沢
  • 行山流供養塚鹿踊保存会

西風神楽保存会 奥州市指定無形民俗文化財第45号

ならいかぐらほぞんかい

奥州市胆沢地区

代表者

小野寺 学

次代を担う子ども達による
南部神楽「せりふ神楽」の伝承

西風神楽保存会

概要

明治12年、一関の山谷(やまや)神楽を伝授された萱刈窪の佐々木十郎兵衛等が萱刈窪(かやかりくぼ)神楽を立ち上げ、以来、野山田(のやまだ)神楽、西風神楽と団体名を変えながら活動を続け今日に至っています。

演目紹介

「宝剣納・宝剣取」アマテラスオオミカミの弟のスサノオミコトが出雲の国に左遷されました。その際、斐の川の上流に棲んでいた八岐の大蛇(やまたのおろち)を退治したときに大蛇の尾から出てきたのが天叢雲剣(あまのむらくものつるぎ)別名は草薙剣(くさなぎのつるぎ)です。この剣を尾張の国の熱田神宮に奉納する舞が「宝剣納」です。剣は皇位の証しであることから、たびたび奪い合いの対象となっておりました。これを岩長姫(いわながひめ)に変化した鬼女なる女性(にょしょう)に盗みとられようとします。そこにヤマトタケルノミコトがあらわれ、岩長姫と宝剣を巡って争うことになります。そして無事宝剣を取り返すまでが宝剣取です。岩長姫の邪心あふれる振る舞いが見どころです。

西風神楽保存会
西風神楽保存会
西風神楽保存会

大畑平念仏剣舞保存会奥州市指定無形民俗文化財第53号

おおはたひらねんぶつけんばいほぞんかい

奥州市胆沢地区

代表者

千葉 ヒデ子

朴ノ木沢剣舞の女剣舞として確立
珍しい女性会員だけで活動しています

大畑平念仏剣舞保存会

概要

明治15年に渡辺亀太郎を庭元に朴ノ木沢剣舞の支部踊組として始まりました。大正10年、朴ノ木沢剣舞の女剣舞(おなごけんばい)としての形が確立。昭和49年、渡辺庄市を庭元として再興。昭和60年「大畑平念仏剣舞」として再出発。陰に陽に朴ノ木沢剣舞との連携の中で踊り継がれてきました。現在は、4代目の庭元を中心に14名の女性会員で組織しています。

特徴

女性だけの団体ですが、剣舞の基本の踊りである本剣舞をはじめ演目は多数あります。

大畑平念仏剣舞保存会
大畑平念仏剣舞保存会
大畑平念仏剣舞保存会