水沢

伊藤流行山鹿踊保存会奥州市指定無形民俗文化財第1号

いとうりゅうぎょうざんししおどりほぞんかい

奥州市水沢区羽田町地区

代表者

小野寺 茂美

会員数

20名

歴史と伝統・重厚で躍動感溢れる踊りを
明日に向け伝承しています。

伊藤流行山鹿踊保存会

沿革

今から312年前の元禄13年に、宮城県本吉郡水戸辺村の「伊藤伴内持遠」により踊り始められ、品川様(三代伊達綱宗公江戸屋敷名)登米御入部の際に上覧したところ、褒美として九曜の紋を拝領、御抱の踊として踊られて以来、本吉郡平磯村の千葉平九郎、東山相川村馬洗淵の吉田猪太郎、田河津村の松山満五郎等によって伝承され、当羽田村に伝承されて28代目、昭和35年に水沢市指定無形文化財に指定され、秘伝書4巻も保存継承されています。

活動状況

主な活動として、羽田町内の各種行事、花巻まつり、仙台青葉まつり、数回に及ぶ東京公演の他、姉妹都市北海道長沼町公演、大阪御堂筋パレード・国民文化祭(栃木県)オープニングパレード、そして平成8年には海外での奉納(後藤寿庵遣欧使節団としてイタリヤ、バチカン市国での記念奉納)も行い、最近では、アテルイ・モレ慰霊による大阪枚方・京都清水寺奉納など国内外で公演奉納を行っています。 東日本大震災後も、北上・みちのく芸能まつりを始め、復興支援キャンペーンや、各種発表会に出演、羽田町を拠点に年間数十回にも及ぶ活動を行っており、この他にも次世代への伝承活動として平成15年度から地元羽田幼稚園園児に「こども鹿踊り」を指導しています。

伊藤流行山鹿踊保存会

重厚で威厳に満ちた装束・頭(かしら)紹介パンフレット

伊藤流行山鹿踊保存会

平成16年アテルイ・モレ慰霊による
京都「清水寺」山門前での記念奉納

伊藤流行山鹿踊保存会

平成8年イタリヤ、ローマ、バチカン市国での奉納

上幅庭田植踊奥州市指定無形民俗文化財第2号

うわはばにわたうえおどり

奥州市水沢区佐倉河地区

代表者

松本 寛章

会員数

30名

稲作への思いが、
数百年を経ても受け継がれています。

上幅庭田植踊

沿革

この踊りの源流は、田楽にあるようです。しかし、どこで発生し、どのような経緯で現在に至ったかは判然としません。いづれにせよ、その年の豊作を強く祈ったことの表れであったことに変わりはありません。
この地域は農業との関わりの深い場所ですが、特にも稲作とは深いを通りこして、時間も空間をも越えた結びつきがあるようです。農作物は多くありますが、その中で”米”づくりに特別な想いを感じます。それが、この踊りを残している所以なのかもしれません。

活動状況

私達の踊り組は、「協調」を目的として活動をしています。それぞれの想いを持ちながら、メンバーは活動に参加しています。しかし、それぞれに事情をかかえながら、様々な方面で”調和”を図り、その上でお互いが”協力”してくれています。それらを大切にしながら、この活動を継続していくことが、誇りと喜びです。
活動は、小正月の踊りを始め、地域の神社の祭礼、祖霊供養、敬老会などで披露しています。目立つ活動ではありませんが、地域に基いた活動を中心としています。将来は、もっと人数を増やし、もっと充実した踊りにしていきたいです。サークル活動みたいに、楽しく精一杯の活動を目指します。
トップの写真は、この踊り始まって以来の栄誉、平成24年11月に、明治神宮に奉納をさせていただいた時のものです。

上幅庭田植踊

明治神宮奉納の際の感謝状です。

上幅庭田植踊

世代交代をし、新しい歴史を刻み出します。

上幅庭田植踊

第5回奥州市民芸術文化祭に参加。

奥州胆沢北下幅神楽保存会奥州市指定無形民俗文化財第3号

おうしゅういさわきたしたはばかぐらほぞんかい

奥州市水沢地区

代表者

千葉 新太郎

会員数

15名

140年の歴史を誇る北下幅神楽
次代に伝える活動が脈々と続けられています。

奥州胆沢北下幅神楽保存会

沿革

北下幅神楽は明治8年創設(昭和35年市の無形文化財指定)。明治21年達谷神楽より鶏舞、翁舞、新岩戸、仕組4番を伝え受け意欲的に演目を増やし、明治25年以来福原、佐野、鶯沢、鵜ノ木、和賀郡岩崎、若柳上鹿合へ伝授している。 初代庭元千葉源五郎から継承され現在の小学生で15代伝承。この間140年継続できた要因は、代々庭元及び指導者により演目・神唄・舞・拍子・装具・道具等神楽全般の記憶と口唱歌の堅実な指導及び伝承にある。また、平成4年水沢市教育委員会「無形文化財記録保存事業」により画像(ビデオ)、書物に保存出来たことによる。

活動状況

9代庭元を中心に地域の伝統芸能継承と発展のため、毎月第2・4日曜日稽古に励んでいる。主な活動は、地元神社等の神社への御神楽奉納、日高神社等の神楽大会、市民芸術文化祭出演、こども芸術発表会出演、子供会行事での鑑賞及び伝承である。
また、平成19年に古くから伝わる「稲荷田大権現(権現舞)」を、数十年ぶりに復興し、毎年元旦に町内に門付けを行っている。

奥州胆沢北下幅神楽保存会

市民芸術文化祭出演

奥州胆沢北下幅神楽保存会

こども芸術発表会出演

奥州胆沢北下幅神楽保存会

こども芸術発表会出演

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奥野流冨士麓行山鹿踊保存会奥州市指定無形民俗文化財第4号

おくのりゅうふじふもとぎょうざんししおどりほぞんかい

奥州市水沢区佐倉河栃木地区

代表者

中目 満

会員数

14名

先人の想いと技を後世に継ぐ、魂の踊りを
心を込めて舞い続ける。

奥州胆沢北下幅神楽保存会

写真提供/岩手県立博物館

沿革

「岩手の郷土芸能」の著者、沢田定三氏が昔ながらの踊型を伝える踊りで、特に『案山子踊』は日本一と賞す。

活動状況

昭和28年旧佐倉河村無形文化財指定、伊達吉村公墓参供養に招待され仙台公演。昭和30年旧水沢市無形文化財第1号となる。昭和32年春日神社より招待、春日大社にて神前奉納。内閣総理大臣官邸中庭にて演舞。議事堂内をワラジばきで案内されるは、奥野流冨士麓行山鹿踊が初めてと伝えられる。昭和23年8月県南郷土芸能祭。昭和28年無形文化財鑑賞会。昭和28年旧佐倉河村無形文化財指定。昭和29年2月伊達吉村公墓参供養招待(装束新調仙台公演)。昭和29年8月第9回郷土芸能祭(県公会堂)。昭和30年旧水沢市無形文化財指定。昭和32年2月無形文化財鑑賞会(市公民館森口多里氏招く)。昭和32年春日大社奉納(招待)。昭和32年12月山下清画伯、奥野流冨士麓行山鹿踊見学。昭和34年8月鹿踊免許皆伝式(朝日新聞報ず)。昭和36年1月大阪大丸デパート東北観光物産展。昭和36年2月首相官邸内庭で演舞。昭和50年10月岩手県郷土芸能祭。
外に姉妹都市長沼町、仙台青葉祭、栗原市一迫あやめ祭、平泉町藤原祭、郷土芸能祭(旧公会堂)、花巻、北上芸能祭、日高火防祭、日高神社奉納、鎮府八幡宮奉納、奥州市民芸術文化祭、常楽寺供養奉納、盛興院供養奉納等、数百回の演舞。伝統の技を伝えるべく、後輩の指導中である。

奥州胆沢北下幅神楽保存会

盛興院様本堂前にて(盆供養)
写真提供/岩手県立博物館

奥州胆沢北下幅神楽保存会

大阪、パレードにて。
伊藤流鹿踊との行進の打ち合わせ。

奥州胆沢北下幅神楽保存会

元庭元宅、装束掛け変えて、記念にと写して頂きました。

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瀬台野神楽保存会奥州市指定無形民俗文化財第39号

せたいのかぐらほぞんかい

奥州市水沢地区

代表者

佐藤 知也

瀬台野神楽は、桃山時代に山形の羽黒神社より
免許を取得したと伝えられております。

瀬台野神楽保存会

沿革

瀬台野神楽は、桃山時代に山形の羽黒神社より免許を取得したと伝えられております。その後、一度は途絶えましたが、昭和51年に青年会の有志22名が旧江刺市の川内神楽より招いた5人の先生方にご指導いただき、現在の瀬台野神楽として発足しました。経費削減のために衣装づくりは座員の家族の協力を得てまかなわれ、数々の舞台で演舞の支えとなってきました。そして神楽伝授式舞合披露、北上みちのく芸能まつり、東北神楽大会、羽黒山での神楽舞台奉納など、多くの舞台を経験しました。昭和55年には旧水沢市の無形民俗文化財に指定され、平成9年には教育委員会のビデオ収録も行われ後世に受け継がれる礎となりました。

活動状況

瀬台野地区の年中行事の一環として、熊野神社元旦祭での御神楽奉納や毎年1月の権現様(無病息災を祈る舞)の行事を行っております。また、地区の文化祭、市主催の芸術祭、日高神社胆江神楽大会にも参加しています。 さらには当保存会は指導にも力を入れております。体育祭のアトラクションに御神楽を演じる男子高校生に指導したり、地元小学校の神楽クラブの発足に伴い、子ども達にも指導を続けてきました。桃山時代が紀元とされる瀬台野神楽をもっともっと永く歴史を刻みたいと考えております。

瀬台野神楽保存会

奥州市民芸術文化祭・水沢芸術祭出演

瀬台野神楽保存会

奥州市民芸術文化祭・水沢芸術祭出演

瀬台野神楽保存会

奥州市民芸術文化祭・水沢芸術祭出演

うぐいす沢神楽保存会奥州市指定無形民俗文化財第68号

うぐいすざわかぐらほぞんかい

奥州市水沢地区

代表者

佐藤 満雄

存続の危機を何度も乗り越えながら
後継者の育成でより確かな組織へ。

うぐいす沢神楽保存会

沿革

うぐいす沢神楽はかつて「鴬沢」と呼ばれる奥州市水沢区羽田町外浦地区にあり鴬沢神楽として栄えていました。この神楽は現水沢区真城の由緒ある瀬台野神楽に習い明治26年に地区の鎮座、山の神神社の奉納神楽として創設された。その後4代にわたり継承され、さらには明治39年に鴬沢神楽の初代師匠たちが江刺区田原の川内に伝授したと伝えられています。鴬沢神楽は戦前戦後の混乱期と時代の変化に伴い、後継者の育成に至らず昭和13年に関係者の総意により神楽供養碑を建立して活動の区切りとし、その後途絶えておりました。昭和63年、地域民から復活の声が高まり川内神楽保存会3代目師匠の方々に依頼したところ、恩返しにと引き受けていただきました。平成3年には市のユニーク事業の指定、財団法人沖永文化振興財団の地域文化活動助成の指定を受け、その補助金と地区民の負担をいただき太鼓、鳥兜などを購入、さらには衣装の縫製を地区の婦人の方々に協力をいただき装束が整いました。その頃から週1回の練習も始められ保存会も結成されましたが、踊り手の高齢化により御神楽の「練り舞」だけでついていけず、中断を余儀なくされておりました。平成8年に神楽保存会の立て直しを図り、地域の若者を募集して組織を一新、翌年には名称を「鴬沢神楽」から「うぐいす沢神楽」に改め、平成12年には50年ぶりに念願の舞台披露の伝承式典において、神楽伝承の儀、初代鴬沢神楽より川内神楽へ伝えたといわれる神代神楽之巻物を賜るところまでになりました。

活動状況

平成13年度の旧水沢市の事業による補助金を受け、不足して借り物だった神楽面や装束などの道具を調達し、年間10回ほどの公演・奉納など実績を積み、平成17年には旧水沢市指定無形民俗文化財の指定を受けました。平成18年には山口県で開催の国民文化祭神楽フェスティバルに出演し「創作神楽アテルイ」を上演、全国にうぐいす沢神楽を発信しました。平成20年には、奥州市地域づくり推進事業の補助金をうけ、さらに装束の充実を図るとともに後継者の育成にも取り組んでおります。

うぐいす沢神楽保存会
うぐいす沢神楽保存会

羽田躍進まつり

うぐいす沢神楽保存会

伝承式